太宰府市の北に隣接する「宇美町」。宇美の歴史は非常に古く、3世紀中ごろの中国の史書・魏志倭人伝「不彌(ふみ)国」という地名で紹介されています。また、日本書紀や古事記にも神功皇后が応神天皇を出産された地を「宇美(産み)」と呼ぶようになったという記述があります。町内にはそんな歴史を裏付けるような多くの史跡が点在。緑豊かな街並みをゆったりと散策すると、興味深い宇美町の歴史を知ることができます。
昭和の森から三郡山登山道を約2.5km登ったところにある「難所ケ滝」は冬は滝が凍り、高さ20mもの大ツララができ、登山者の人気を集めています(Aさん/50代・宇美町)
宇美八幡宮は小さいころは、私たちの遊び場でした。「衣掛の森」の奥に湧水があります。これは「産湯(うぶゆ)の水」と呼ばれ、応神天皇がお生まれになった際に、この湧水を産湯に使ったといわれていますよ(Sさん/40代・宇美町)
宇美公園は桜とツツジの名所で、春はお花見の人たちで賑わいます(Nさん/30代)
萬代酒造工場の敷地内に酒工房があり、お酒の歴史などの話が聞けて楽しいですよ(Tさん/志免町・30代)
「緑道」は市民の憩いの場所です。毎日、散歩を楽しんでいます。犬を散歩させている人、ジョギングしている人…いろいろな方と出会え、立ち話などをしてコミュニケーションできるのがとても楽しいですね(Kさん/60代・宇美町)
宇美八幡宮では、秋に「放生会」があり、参道には露店も並び結構盛大で楽しいですよ(Oさん/20代・宇美町)
古墳のふもとに大きな構造模型も
 宇美町の小高い場所にある住宅地、おしゃれな家並みの中にこんもりとした緑の丘になっているのが「光正寺古墳」。この古墳は、3世紀後半ごろの古墳。糟屋郡内最大の前方後円墳で、墳丘規模は全長約54m、後円部径約34m、前方部長20mで前方部2段築成、後円部3段築成。埋葬施設は、後円部に5つの主体部があり、箱式石棺、木棺、土器棺が用いられています。古墳の被葬者は、当時、糟屋地域を支配していた豪族の墓と考えられています。勾玉(まがたま)や管玉、土師器甕(はじきかめ)、刀子(とうす)、鉄剣、鉄刀などが出土しました。

 古墳群は、このほかにも宇美八幡宮の奥宮にある宇美公園に、4基の古墳が点在しています。
古墳頂上からの風景をパノラマ写真にしてみました
 「光正寺古墳公園」から眺めると、眼下に長く伸びる緑道を発見! 光正寺古墳〜河畔公園〜総合スポーツ公園と、志免町から続く緑道は、旧国鉄勝田線跡地を利用して、全長約10kmにわたり整備されたものです。緑道には四季折々の花や木々が植えられ、散歩やジョギングなどの場所として親しまれています。この「緑道」は、緑豊かな街づくりを実践する市民団体や企業に与えられる「緑の都市賞」で、2001年に「都市緑化基金賞」を受賞しています。
 「緑道」を抜けて国道に出た先に見えるのは「宇美八幡宮」入口の赤い橋。「古事記」に、「その御子生みたまえる地を、宇美とぞ謂いける」とあるように、「宇美八幡宮」は。神功皇后が新羅からの帰国中に、この地で応神天皇を無事出産されたという伝説に由来して、この2人を祀る安産祈願の神社で、休日には多くの参拝者で賑わいます。
「湯蓋の森」
境内には、国の天然記念物に指定されている大クスがあります。そのひとつが拝殿に向かって右にある大クスで「湯蓋(ゆぶた)の森」と呼ばれます。この名の由来は、神功皇后が応神天皇をご出産された際に、この木の下で産湯をつかわせたといわれることからきています。
「衣掛の森」
「子安(こやす)の石」
「衣掛の森」
もう一つは拝殿に向かって左奥にある大クスで「衣掛の森」と呼ばれます。この名の由来は、神功皇后が応神天皇に産湯をつかわせた際、産着をこれに掛けたといわれていることからきています。

「子安(こやす)の石」
拝殿の裏手にある「湯方(ゆかた)社」。祭神は応神天皇ご誕生の時の助産婦と言われています。安産祈願の折に、妊婦がここから石を1個持ち帰り、出産後は新しい別の石に生まれた子どもの名前を書き、持ち帰った石と一緒に納めています。夥しい数の石に、参拝者の多さを感じます。

「神楽殿」
県指定無形文化財の「宇美神楽」が行われる「神楽殿」があります。神楽は春の「子安祭」秋の「放生会」の年2回、舞われます。
 九州国立博物館に関する情報は、公式サイトをご覧ください