今回の四王寺山散策は、太宰府市教育委員会元文化財管理指導員で、歴史研究家の大隈和子さんに同行していただき、この地域に残る伝説なども教えていただきました。
四王寺山にある「県民の森センター」の「子どもの国」は、家族で楽しめるお気に入りのスポットです。広い芝生の上で子どもたちは思いきり走り回ってのびのび過ごせます。キャンプができる「野外研修場」や開放感のある「野外音楽堂」もなかなかいいですよ(Wさん/30代・太宰府市)
「大野城跡」には、さまざまな史跡が点在し、日本最古の山城という雰囲気がなかなか素敵です(Fさん/40代・大野城市)
四王寺山「焼米ケ原」の遊歩道を散策するのが好きです。眼下に太宰府市、筑紫野市、大野城市、宇美町…と、お天気のいい日には、まるでパノラマのような景色が楽しめます。(Tさん/20代・春日市)
大野城跡からの眺めは最高。木々や草花に季節の移り変わりを感じながらの四王寺山散策は、私の一番のリフレッシュ法です{Nさん/50代・太宰府市}
私は大宰府政庁跡から眺める四王寺山がとても好きです。なだらかな稜線を見つめているととても穏やかな気持ちになれます(Oさん/50代・南区)

太宰府観光協会 http://www.dazaifu.org/
大隈さん
 四王寺山は、その昔、広い山頂部を囲んで山城が築かれていました。それは西暦665年、朝鮮の百済の国の人々の指導によって造られたもので、「大野城」と呼ばれていました。記録に残る日本最古の城として、現在でもその名残の石垣や土塁、建物の礎石が残っています。また、この大野城には奈良時代末の774年に、四天王が祀られ、それが四王寺山という名前の起こりとなりました。

 四王寺山散策にご一緒願いたいという私の依頼に、大隈さんは「では、観世音寺の裏あたりから登りましょう。岩屋城跡や磨崖の石塔、石垣などを見るのにもいいコースですから」と、楽しそう。私もちょっぴりピクニック気分に。
 当日は朝から春をおもわせるいいお天気! 観世音寺を抜けて、田んぼ道を歩きます。冬木立に小鳥のさえずり、青い空…。「もう少ししたら、山に春の匂いが漂いはじめるんですよ」と大隈さん。桜の美しい頃には山腹にピンクの帯ができ、また新緑の季節はクスやカシの若葉で、山全体がムクムク膨らんでいるように見えるそうです。想像しただけでも楽しいですね。
 観世音寺の奥の推定金光寺跡から四王寺山に登って行くと、山の中腹あたりで登山道をはずれて右手に入る道があります(道標あり)。そこを入ると、崖の岩に塔が3基刻まれています。これが「岩屋磨崖石塔群」。

 「これらは供養塔として彫られたようです。なぜこの場所に彫られたかは、石塔の麓に位置する観世音寺と関係があるのかもしれないですね。石塔の造立は、13世紀末から14世紀にかけて全国的に広まったそうで、この石塔群の時期もちょうどそのころにあたります」

 岩屋磨崖石塔群を先に進むと、岩屋城主だった高橋紹運の墓があります。天下統一を進めていた豊臣秀吉は、島津義久に戦闘の停止を命じますが、島津は拒否。島津軍は北部九州の大友方の城の攻略を企てます。島津軍来襲は避けられないとみた高橋紹運は、岩屋城で迎え撃つ戦略を立てます。

 1586年7月14日、島津の軍勢は4万とも5万とも伝えられる大軍で、四王寺山の山麓から二日市、太宰府、観世音寺一帯を埋め尽くすように陣を敷きました。対する岩屋城の兵力はわずか660余人。決死の覚悟で果敢に防戦にあたります。そして7月27日、14日間の戦いの後、高橋軍は大軍の前に力尽きました。「ながれての 末の世とほく埋もれぬ 名をや岩屋のこけの下水」。紹運の辞世の句です。

 薩摩の島津軍との壮絶な戦いの舞台となった「岩屋城跡」。そのような大規模な戦闘が行われた城郭にしては、小さな城郭で、そのことが、かえって岩屋城合戦の激烈さを物語っているのではないでしょうか。

 ここからの眺めは抜群。すぐ下の方に「大宰府政庁跡」少し遠くに「水城跡」が見渡せます。実は、ここまでの登山道は想像以上の急斜面で、しかも両手にカメラや荷物を持つ私は、リュック姿で軽々と登る大隈さんが非常に羨ましく、少し後悔でしたが、この見晴らしの素晴らしさに、そんな思いも吹き飛びました。この城跡の近くには、馬術を練習する場所「馬責め」や「鏡ケ池」もあります。
「馬責め」
「鏡ケ池」
「水城跡」
「大宰府政庁跡」