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ポン菓子
 バンという爆発音が聞こえたら、米を片手に家を飛び出し、米が弾ける様をワクワクしながら見ていた…心に残るポン菓子の思い出。パリパリした食感と、じゅわっと広がる優しい甘みが懐かしいですね。約10倍に膨らんだ米に煮詰めた砂糖をからめたポン菓子、実は北九州から広がりました。
消化のよいものを子どもたちに…の一心で
 太平洋戦争まっただ中。大阪で小学校の教員をしていた土口村利子さんの朝一番の仕事は、新聞紙をこすり合わせて柔らかくし、子どもたちの便所紙をたくさん作ることでした。配給の雑穀を食べて消化不良をおこし、おなかを壊したり、肌にたくさんデキモノができたり。連日、トイレは長蛇の列でした。
 「子どもたちに消化の良いものを食べさせてやりたい」。その一心が、20歳の土口村さんを突き動かします。
 その時ヒントになったのが幼いころの記憶――おっちゃんが角がある黒い化け物と格闘していて、ギャッと悲鳴が聞こえた。後で見ると、小さな粒が2つ落ちていた――。「初めて見るその粒を怖がる私に、祖母が『それは化け物の涙や』と言ったんです。しゃれてるでしょ(笑)。その“涙”こそ実はポン菓子だったんですよ」。後に偶然本で、あの時の“化け物”を発見。幼かった土口村さんは、大がかりなベルギー製の穀類膨張機を“化け物”、ポン菓子ができる時の爆発音を“悲鳴”だと勘違いしていたのです。
ポン菓子
 穀物は膨らませることができる、という発想。あれなら消化に良いんじゃないか。もっと軽くて強い機械ができないか。大学教授に作ってもらった設計図を片手に、「鉄都・八幡ならきっと腕の良い職人がいる」と、あの時代になんと単身で、北九州にやって来ました。
おいしいポン菓子をみんなに食べてもらいたい
 「お嬢さん育ちで、理想に燃えていた」土口村さん。縁もゆかりもない八幡で、飛び込みで職人を訪ね歩きます。「油まみれで気も荒い、大酒飲みばかり。正直怖いと思うこともありました」。しかしすぐに良い職人が見つかり、教員を辞め、昭和21年に初代「土口村式ポン菓子機」を開発。共同考案者の職人と22歳の時に結婚し、ポンせんべい、わた菓子、ポップコーンなど関連機械を次々に生み、国内外から注文が殺到しました。これらに共通するのは“湧き出る”“弾ける”“膨れる”製法。「子どもたちが喜ぶように」。土口村さんのこだわりが貫かれていました。
 しかし、苦労は続きます。
 ポン菓子の需要が急減する中、夫が40代の若さで他界。子ども4人と借金を抱え、残された職人に助けられながら大手企業の下請けを主力に働き続けました。“鉄を削ってなんぼ”の世界。土口村さんは無理な注文を受けたある夜、左手を機械に巻き込まれ、78針縫うケガを負います。「でも止めるわけにはいかない。天井から手をつって、作業を続けました」。骨身にしみた下請けの辛さ。今も指は曲がったままです。
 それでも「苦労なんてみんなしてる。大したことじゃない」とあっさり。さすが、鉄とともに生きた女傑(じょけつ)、肝の座り方が違います。
 細々と続けていたポン菓子機の製造を、数年前から本格的に再開。「みんなが『懐かしい』『おいしい』と食べてくれることが何よりの喜び」と、呼ばれればどこにでも出かけ、ポン菓子の実演をしています。大阪の教え子には結局、自分が作ったポン菓子を直接食べさせてあげる機会がなかった土口村さん。今、ポン菓子機に集まる人たちに、昔の教え子の姿を重ね合わせているのかもしれません。
ポン菓子
 9月に「抹茶ポン菓子」を発売した「つじり茶屋」(小倉北区)。「北九州発祥、音のインパクト、懐かしさ、手作り感…そのすべてを兼ね備えたものとしてポン菓子に注目し、お茶屋ならではの新商品を作りました」と店主の辻利之さん。口の中に抹茶の風味が広がる、大人味のポン菓子。従来のイメージが覆るかも。80g315円。気が利いたお土産になりそうです。