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| バンという爆発音が聞こえたら、米を片手に家を飛び出し、米が弾ける様をワクワクしながら見ていた…心に残るポン菓子の思い出。パリパリした食感と、じゅわっと広がる優しい甘みが懐かしいですね。約10倍に膨らんだ米に煮詰めた砂糖をからめたポン菓子、実は北九州から広がりました。 |
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太平洋戦争まっただ中。大阪で小学校の教員をしていた土口村利子さんの朝一番の仕事は、新聞紙をこすり合わせて柔らかくし、子どもたちの便所紙をたくさん作ることでした。配給の雑穀を食べて消化不良をおこし、おなかを壊したり、肌にたくさんデキモノができたり。連日、トイレは長蛇の列でした。
「子どもたちに消化の良いものを食べさせてやりたい」。その一心が、20歳の土口村さんを突き動かします。
その時ヒントになったのが幼いころの記憶――おっちゃんが角がある黒い化け物と格闘していて、ギャッと悲鳴が聞こえた。後で見ると、小さな粒が2つ落ちていた――。「初めて見るその粒を怖がる私に、祖母が『それは化け物の涙や』と言ったんです。しゃれてるでしょ(笑)。その“涙”こそ実はポン菓子だったんですよ」。後に偶然本で、あの時の“化け物”を発見。幼かった土口村さんは、大がかりなベルギー製の穀類膨張機を“化け物”、ポン菓子ができる時の爆発音を“悲鳴”だと勘違いしていたのです。 |
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| 穀物は膨らませることができる、という発想。あれなら消化に良いんじゃないか。もっと軽くて強い機械ができないか。大学教授に作ってもらった設計図を片手に、「鉄都・八幡ならきっと腕の良い職人がいる」と、あの時代になんと単身で、北九州にやって来ました。 |