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小倉駅と企救丘駅を結ぶ、「北九州モノレール」。通勤、通学客の足として、年間約1100万人を運んでいます。
今回は、開業から20周年を迎えて、新たな試みを行っているモノレールにスポットをあてました。 |
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| 営業課係長の橋本さん。同社初のワーキングマザーです |
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モータリゼーションが急速に進行していた昭和40年代。北九州市内の交通渋滞は、大きな社会問題となっていました。
そこで北九州市は、乗客を一度に大量に運べ、かつ安全、都市美観、建設費、採算性などさまざまな観点から、モノレールの採用を決定。約3年の準備期間を経て、昭和51年、第3セクター方式の「北九州高速鉄道株式会社」が発足。昭和53年に工事が着工し、昭和60年1月9日に、小倉駅(現平和通駅)と企救丘駅を結ぶ8・4kmが開業しました。
観光客向けのモノレールは以前からありましたが、当時、通勤通学客を運ぶ都市型モノレールは日本で初めて。開業の始発便に乗るために、前日から並んでいた人もいたそうです。 |
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「まだ自動改札が普及していなかったので、コンパニオンを雇って切符の通し方をご説明しました。モノレールに乗るためだけにわざわざ遠くからいらっしゃるお客さまもいらっしゃったので、申し訳なくて、指令室や車両工場にもご案内していました。国内はもちろん、重慶など海外からの視察もあり、2カ月くらい休みなしでした」と営業課係長の橋本美紀さん。
開業してからは、資本費の負担が大きいのに加え、当初の見込みより乗客数がはるかに下回るなど、料金収入で経費を賄えない状態が続きました。そのため増資による自己資本比率の上昇をはじめ、経費節減や、記念乗車券、イベントなどによる増収増客策を実施。平成3年度には償却前黒字にまで回復しました。 |
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