上流(小倉南区)から下流(小倉北区)まで、市内で完結する約20kmの2級河川「紫川」。
“ドブ川”から“清流”へ…その劇的な再生は、全国的にも有名です。小倉の都心を悠々と流れる「ふるさとの川」、その歴史をひも解きます。
紫川…改めて見ると、なんとも風流な名前。その由来は、河岸に咲く藤の花の紫色が川面に映り美しかった、「山紫水明」という言葉からとったなど諸説ありますが、いずれも、昔の紫川がいかに美しかったかを物語っています。
昭和28年の大水害を機に、護岸工事、ダム建設など治水事業がスタート。しかし当時の小倉はほとんど下水道がなく、家庭や工場の廃水は紫川に垂れ流されていました。
「貸しボートに乗ると、オールにヘドロが付いてくる。メタンガスの気泡が上がって、腐ったような臭いも。まち全体が川に背を向けて建っていました」。北九州市水環境課の田中文彦さんが小学生だった、昭和40年代の風景です。
昭和38年から下水道整備が始まり、その普及と市民による浄化活動の結果、昭和60年代にはアユが住めるくらいの水質にまで改善。上流から下流まで一体となって取り組めた、市内で完結する紫川ならではの劇的な再生でした。
しかし下流部は、川沿いの違法建築や建物の密集などで整備が進まない状態。平成2年、国の「マイタウン・マイリバー整備事業」認定を受け、川幅を広げるとともに、川を中心としたまちづくりに着手します。市民からアイデアを募集、川づくりに生かすなど、先駆的な試みも。橋の架け替えから始まったこの事業は、来春終わる「勝山公園」の整備で、ひとまず全容を見ることができます。
「水辺でくつろいでいる人を見かけると、本当にうれしい」と、田中さんは感慨深そうに語ってくれました。
紫川に関わる市民団体は多くありますが、その先駆けが昭和60年発足の「紫川に鮎を呼び戻す会」(現在、紫川M―CAP連絡協議会に発展)。昭和24年、常盤橋のたもとで創業した(株)タカミヤの故・高宮義諦(よしあき)さんが「アユの銀鱗がキラッと光って美しかった、昔の紫川に戻したい」と、アユの放流と川の清掃を始めました。
平成5年にはその遺志を継いだ長男・俊諦さんが、(財)タカミヤ・マリバー環境保護財団を設立。活動の一つとして、60代の職員がマリバー号(ゴミ回収車)で週5日、市内の河川を清掃して回っています。「紫川は月2回巡回。おかげで随分きれいな川になりました。ですが、一人ひとりが水辺の美化を心掛けなければ、また昔の汚れた川に戻ってしまうのではないでしょうか」と、タカミヤの田中淳さん。市民の環境に対する意識の変革が望まれています。
また新しい市民グループの一つに、紫という色にこだわる、NPO九州酒乃一座を中心にした「紫咲川ぐるぐるグルメ」があります。紫川源流域で作った農作物を、下流で加工・商品化しようという試み。今春夏、むらさき米、むらさき芋などを植え、これらを使って、紫色の日本酒や酢、うどんやラーメンなどの麺、ケーキなどを作り、「小倉のまちを紫色に染めよう!」と考えています。
川の名前の由来とも言われる「むらさき草」も植える予定。栽培は非常に難しいそうですが、努力を続ければいつか、紫川の河岸にむらさき草が生い茂る、古来の風景に戻る時が来るかもしれません。
死者183人を出した、昭和28年の大水害。小倉北区大門交差点付近も、ここまで水に浸かりました。この水害が、紫川治水整備の原点に。
昭和50年代の常盤橋付近。川に背を向けて、違法建築物が並んでいました
(財)タカミヤ・マリバー環境保護財団のマリバー号。連日、市内の河川の清掃を行っています。1日に回収するゴミは約60〜100t!ゼロになる日はいつ来るのか…